世間を判断する材料として、調査への関心、
《そこで、「Yahoo!ニュース」では、「小保方リーダーの会見に納得?」との意識調査を、4月9日~19日に実施。24万6053票(男性=75.4%、女性=24.6%)の回答があった。 その結果は、「納得できなかった」が12万7301票(51.7%)と過半数を超えた。「納得した」は7万4477票(30.3%)、「内容が分からなかった」が2万5640票(10.4%)、「見ていない」が1万8635票(7.6%)だった。》
《会見を見た人にとってみれば、STAP細胞が本当にあるのなら、誰しも具体的に証明してほしいと思うだろう。多くの人が「納得できなかった」と回答するのも当然のこと。この問題は長期化しそうな気配だが、小保方氏が本当に200回以上も作成に成功しているのであれば、それを万人にも分かるように示してほしいものだ。》
これがこの投稿者の調査に対する結論だ。〈世間〉という名の期待が語られる。
《「倫理」と言う点では、社会の認識と反対だが、無断で引用するほうが倫理的である。つまり「人類共通の財産」を認め「公知」であるという法律に従っているからだ。引用しなければならないというのは法律より村の掟を上位に置く思想だから危険。》
〈公〉〈公権力〉をどのように捉えるかで、公共財、その使用権は全く異なるものになる。
歴史認識の問題に関わってくる。そして歴史は都合のいいようにつくられていることを忘れてはならない。
創られているとかっこよく過去を切り捨てるか、造られていると正直に偽造を認めながら、修正するのとどちらが良心的なのか、良心的になるには、どこまでの範囲でそれを証明するか。
範囲を限定すると科学は科学の範囲でしか正しくないのである。
科学は絶対ではない、絶対であれば未来にも過去にも関係のない、進化しないものとなる。
前提は正しくないのである。それを正しいと証明できるのは正しくないと証明できないことによる。
知は未知によって書き換えらえる。
科学者は「想定外」を想定できなくなる。
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